プロフィール

氏名:Dすけ
生年月日:1991年
血液型:B型
身長:179cm
静岡市在住
アメリカを感じる事が好き

ブログ名由来:「アメリカナイズ」[名](スル)米国風にすること。または、米国風になること。「―された生活様式」(引用元 goo辞書)

アメリカにいつでも行ける訳ではないので、日本に住んでても毎日に少しでもアメリカを感じれるように生活や知識を米国風にしていこう。という気持ちが込められています。
平たく言うと、刺激的に生きようって事です。

 

このブログではアメリカに関係する事を発信していきます。
それにプラスして日々の気づきや学びなども同時に発信し自分を高めていき、読者様に驚きと面白さを提供出来ればと思います。


 

運営者略歴

18歳~掛川工業高校卒。

卒業後、一社目を1年立たずに退職。
その後、職を転々とする。(非正規を含めればワンチャン10社近いかも)

 

(高校卒業後の入社式にて)

22歳~人生で本当にやりたい事を考え始める。と、同時に職が定まらない自分はダメ人間なのか?と自己嫌悪に陥る。

(飲食業での締め作業中)

24歳~リアルでの副業やネットビジネスを始める。(物販やFXなど)

(全部中途半端に終わり、目標は達成できず。)さらに自己嫌悪に陥る。

27歳~ブログ「AMERICANA えくすとり~むうぇぶまがじん( ゚Д゚)y─┛~~」を開設。
(2023年 ブログ名を今の「アメリカないず」に変更。)

(テーマは変えていないのでブログの外観はそこまで変化ないです)

 

28歳~物販を完全に諦める。物販で稼いだお金100万円を握りしめ、夢だった単身アメリカ横断旅行へ。
横断だけだったはずが、日数計算ミスって縦断もしちゃう。

 

(テキサス州ストックヤードにて)

 

28歳~帰国後、完全歩合制の訪問販売の営業職を始める。
3日目くらいにお客にアプローチ中にブチきれてしまい、先輩に迷惑を掛け辞めようか迷う。
2年後、社内営業成績3位で表彰され、他社へロープレやコンサル等をする。

 

31歳~社長と考えが合わず退社

32歳~個人事業主(業務委託契約)で、(時間的に)ある程度自由に仕事をしている

 

ミッション(使命)

自分がブログを通して成長することは勿論、他者にも価値提供をし、自他ともに成長する。

成長とは「自分がカッコイイ、いい感じ、アメリカ感じる」と思える状態になる事を定義とする。具体的数値や社会的地位は考えない。

 

バリュー(価値、行動指針)

気を抜く所は抜き、夢中になれることを夢中でやる。

 

僕の想いと歴史

自分はアメリカに関わることなら大体好きな男です。
(アメリカを感じる事、物が好きです。)

 

なぜ好きなのかは具体的な理由は浮かばない。
ただ、アメリカって「かっこいい。」、それだけ。
あと、目立ってるから・・・?かな。

 

好きなことにそれっぽい理由はないものなのかぁと思います。
必然なのかもしれません

 

そしてアメリカに関係する事に興味があり、当ブログ「アメリカないず」に来てくれた、
アナタとの出会いも必然なのかもしれません。

 

 

アメリカ好きという少しマイノリティ(少数派)な僕たちは、

普段から周りの友達、知人、職場の人などと少し趣味があわなかったり、趣向、または考えや、行動などがあわなかったりして少し寂しかったり、イラッとする場面、物事にブチ当たるときが多い様に思います。

それが逆に誇らしかったりするんですが。

 

でもやっぱ多少なりともこのアメリカ好きな気持ちを共有したいなぁ。と思う時はあるものです。
そんなアナタと少しでも多く、少しでも長く、ネットという非現実世界ではありますが、

アメリカを一緒に感じれたらなぁと思い、このブログはあります。

Dすけの幼少期・小学生・中学生・高校生時代

心の中で「いつも目立ちたい!」という気持ちが常にある幼少期・小・中・高時代でした。

みんなが面白がってくれる事をやりたい性格。でも少し恥ずかしい気持ちもあるから大人数の前では出来ない。そんな子供でした。
たまに突拍子もないことをしていた様な記憶もあります。
陸上クラブをやっていた事もあり、マラソンや徒競走で上位を取ることがあり、目立てるのでいい気持ちでした。

小学生時代で印象深いのは、親の車の中で「ricky martin(リッキーマーティン)かB’zしか」流れていなかったという事。
これが今の僕の洋楽好きやハードロック好きの根本のキッカケかもしれません。
ricky martinが洋楽にハマるキッカケの一つっていうのもレア話ですがね・・・。

 

中学では、小学生時代の陸上クラブで散々走ったのでもう走りたくない。と思っていた為、
何を血迷ったのか卓球を選び、女子にモテない中学生生活を送ります。

 

ただ運動神経はいい方で、地元の大会であれば上位入賞はできていたので、それが救い。
学力はオール3を取るほどのザ・普通の生徒。(でも目立ちたい気持ちも健在。)

とにかく小学生、中学生時代ともに度胸はないけど目立ちたい。人と違う事したい。目立つ為にたまに無茶する様な子供でした。

 

そしてこの中学時代に完全に洋楽にハマります。

友達から借りた洋楽CDだったか、深夜にTVで流れていた洋楽のCDのCMでハマったのか記憶がちょっと定かではないですが、それはもう聞きまくりました。
当時MDに落として、ずーーーーっと聞いていましたね。

ジャンルは当時流行っていたレゲトンやHIPHOPなどで、目立ちたがりの僕にはストライクだったんだと思います。

 

高校に上がり更に僕の洋楽の熱は加速していき、ジャンルを問わず聴いて、洋楽ニュースも欠かさず携帯で見ていたので、高校の頃の自分は完全に洋楽マニア。

クラスの中でイケてるグループが昼休み中に流しがちな(笑)洋楽とかは勿論全部知っていますし、
クラスであんま目立つ側の人間じゃないパンクロックやロック好きながちな人(笑)
の聞く曲も知ってたので、

「あーーーなんで、みんなこの曲、アーティストしらないんだろー」とか思っていました。
なんなら洋楽聞かない奴はダセー。とか思うくらいに偏りまくった高校生になっていました。
趣味趣向がみんなと合わないので、疎外感も少し感じていましたが、それでいいと思っていました。

この様な集合写真では大体端の方にいる感じ。

→高校時代では洋楽に傾きすぎて偏屈で孤独だった学生生活。

 

・・・僕はおそらく日本で最速級のtaylor swift(テイラースウィフト)ファンです。
youtubeでlove storyのPVを見たときの再生回数は当時30万未満とかだったと思います。
love storyのPVを見て腰抜かしました、高校生の僕はtaylor swiftに恋をしたのです。

卒アルの一言に「taylor swiftの可愛さとbritney spearsのヤバさ。」とか意味わからん事書いてますね・・・。

ここらへんからtaylor swiftの影響もあり、カントリーミュージックにも少し興味が出てきた時代です
カントリーは今まで見てきたジャンルとは違うPVですごくアメリカはかっこいいなぁって思って、
「洋楽好き」から少し変化して「アメリカそのものが好き」が加速していきます。

(カントリーミュージックのPVっていいですよね~。かっこいいエンジン音の古いアメ車とポニーテールのブロンド髪の女性、ガッチリした体格のジーパンでバシっと決めたカウボーイハットを被った男性、赤いゴツゴツした岩肌の大自然。まさにアメリカ。)

社会人時代で会社という存在に嫌悪を抱く

高校卒業してとにかくお金が欲しかったので、「近いから。採用されそうだから。」という理由だけで地元の工場に就職します。
バイトしてた高校の頃とは比べ物にならない程のお金を働いて貰える!よっしゃああ!って思ってましたが現実は違いました。

僕は仕事がうまくいかず部署を転々とさせられます。
本気で、心の底から、何が楽しくてこんなクソつまらない事をしなけれいけないんだ。って思ってました。

その一方、根は真面目なので、「しっかりやらなきゃ。」っていう気持ちと現実の差ですごく悲しい気持ちでもありました。

当時の僕は、つまらないと我慢できない眠気に襲われる事がありました。
仕事中に寝てしまうのです。工場の仕事でですよ。体を動かしてるのに。

機械に巻き込まれたりでもしたら大変です、当時その工場では優しいと言われていた作業員に物凄い勢いで後ろから尻をぶっ叩かれ怒られましたね。
(しかもその後も眠くなるという)

そんなんで、色んな作業員や上司に怒られ、自分自身に悔しくて泣いた時もありました。
今思うと、何かの病気だったかも知れません・・・。

結局新卒なのに1年経たずに、その工場は退職しました。惨めな想いでした。


その次は絶対寝れない様な仕事にしようと思い、引っ越しの作業員(パンダのキャラクター)をバイトから始めました。
引っ越しはとんでもなくキツい仕事でした。

  • 夏場に30.40kgくらいあるダンボールを走りながらマンションの5階の部屋まで運ぶ。
  • クソ狭い階段でほぼ業務用冷蔵庫ってのを運んだり。(冷蔵庫を壁に少しでも当てたら殴られる)
  • 朝礼で社是、社訓を軍隊方式で大声で叫ぶ。
  • バイトなのに帰社が22時超えたり。(次の日6時出発・・・。)
  • 夏場は何人か倒れる。

でも「引っ越しなら寝てしまうことはない!やるしかない!」
と思い死ぬ気で頑張ってなんとか続けて社員登用の話が出てきて、泊まりの研修に行くことになりました。

そこでの研修もかなりの軍隊でした。

会社の組織図と、役員の名前を全員覚えさせられます。

テストをして覚えれなかった人は、帰らせてくれません、詰められて、めっちゃキレられます。
泊まり延長です。ヤバイですよね。

そして挨拶がしっかり出来るかのテストもやります。
全員の前で大声で挨拶をします。

「オイ、挨拶がしっかり出来ねえ奴は回し蹴りな。」って言ってた支店長の顔は忘れれません。
眼の前で回し蹴り実践してましたよ、綺麗に回ってました。

 

それも合格し、社員になれる。ってなったのですが、「本当にここでいいのか?」と思い辞退しました。
1社目でロクでもない経験をしてるので「自分が社会に適合してない、無理してでも適合しなきゃ!」って視野が狭くなってたのにこの判断が出来た当時の自分を褒めてやりたいです。
ここまでのブラック企業はそうそうないですからね。

引っ越しは1年ちょっと在籍してたと思います。


そこから3交代制の工場に転職しました。
ここはトンデモない上司が計3人いましたね。

仲の良かった先輩が「あの上司がクロといったらシロでもクロになる」とよく言ってました。

ここではトンデモ上司の一人と掴み合って殴り合いの喧嘩になりそうになったり、

溶剤を素手で触り続けるので手が荒れたり、気化した溶剤で気分が悪くなって倒れそうになったり、

暴力は振るわないがめちゃくそ性格が悪い上司がいて、他の人には注意しないようなレベルの事を自分にグチグチずっーーーと言ってきたり、

自分のミスを僕になすりつけた上司もいましたね。

殴り合いになりそうになった上司にはそれからというもの目をつけられ、よく毎朝のミーティング等で意見を言わされました。
(ミーティングで、他の班のミスとかを共有するのでそれに対しての意見を言わないといけないキモい習慣がある)

謎の毎日のサービス残業も最悪でした。
一番ヒドかった時は昼勤が夜の0時くらいに終わるのですが、そっから6時間くらいサービス残業した時ですね。朝日が見えたときは「この世の終わりだ」と思いました。

 

こんな事が3年続いて、しごとが嫌すぎて出勤前に吐いてしまう事もありました。

そして「こんな嫌な事続けて何になるんだ?」って思い、退職しました。
退職の際、有給の分は消化も買い取りも全部はしてくれず、ほんの少しだけでした。その条件を飲まないなら自己都合退社じゃなく、「解雇にするぞ。」と脅されました。
しかも事務所のみんながいる前で・・・。結構上の立場の人だったんですけどね。

3年働いた従業員に上の立場が言うセリフがこれかい。

どうですか?ここまで。
僕のレベルの低さもあるかもだけど、なかなかハードモードでしょ?(笑)

新卒から3社経験してきて、「会社」というものに物凄い嫌悪と諦めが強烈に僕の中に植え付けられました。

もうしたい事してこう、、、ってそこで決めました。
そこから色んな職種や業務形態を経験しました。

色々手当たり次第行動していった

色々経験していく中で、忘れかけてたアメリカへの思いも強くなっていきました。

そしてアメリカに行ってみたい!と強く思うようになってました。

 

追記:一念発起して世間体など気にせずに退職して行ってきました!
単独アメリカ横断(+縦断)旅行記

 

アメリカに行ってみたい!
もっと普段の生活にアメリカを感じたい!
と思い始めてから色々行動をし始めたのが22歳くらいの時でしょうか。

行動というのは「仕事の給料さえもっとよければ普段からもっとアメリカ感じれるはず!」

と思い、

職を変えたり、職種を今までは工場勤務でしたが、バルで働いてみたり、雇用形態を変えたり。

Wワークで睡眠時間毎日3時間の過酷な時期を過ごしたり。
念願のピックアップトラック買ってみたり(F-150というfordのトラックです。)

スノボー、スケボーやってみたり。
部屋中をアメリカ雑貨だらけにしたり。

副業として物販ビジネスを平日はもちろん、休日返上でリサーチ作業を頭が狂うほどやったり。
(多分ちょっと狂った。)

ネットワークビジネスの集会に参加してみたり、投資セミナーみたいのに参加してみたり。

 

そしたらあっという間に年月が経ちました。(もっと友達と遊びたかったなぁと思ったり(´-`).。oO)

 

ここまでで俺が思ったのは、
アメリカも多少なりとも感じれるし、いいんだけど、

 

「やっぱアメリカ行きたいよね」

 

って思った訳です。
そんな好きならなんで最初からアメリカに行かなかったんだ?と思う人もいるでしょう。

「今の生活を捨てるのが怖かったんです多分。」

一応「多少はアメリカ感じてる」
一応「多少は自由の時間がある」
一応「多少のお金はある」

この「一応」が俺の判断を狂わせた。多分。

職場変えてみちゃ、職種変えてみちゃあ、色々してきたけど、

「アメリカが好きだからこそ振り回された」

んだなぁって思いました。

 

アメリカの雰囲気が好きで好きで、もっと感じたい、もっと、もっと。
そうすると雇われサラリーマンのせいで

 

「圧倒的に時間とお金がない。」

 

今はこの問題を解決すべく数年前から頭悪いなりに頑張っている訳です。
と、同時にこのブログも自分の資産となり得るので頑張って更新しています。

おそらくこれから先の人生、振り回されると思います。でも好きなことのために振り回されるならいい。

 

このブログにきてくれたマイノリティなアナタに1曲。

「マイノリティ(少数派)でいいから我が道すすめよ。

みんながいうモラルとかくだらん。

少数派で生きてくぜー」って曲です。

普段、和訳とか気にしないんですが、なぜかたまたま久しぶりに聞きたくなったgreendayでなぜかたまたま和訳が気になったんで調べたら、勇気貰える曲だったのでたまに聞いてます。
読者様もよかったらどうぞ。

「おし、30代、40代になっても世間の目なんか知ったこっちゃない。夢を実現するために好きなこんやらしてもらうぜ。」

ちなみに僕が資産ブログを始めたキッカケと苦悩を赤裸々にこちらに書いています。
やたらキレる上司、世間体、自分の周りの友達とのギャップ。

・・・俺はダメ人間なのか?

ブログ運営を始めたキッカケと苦悩

PS.

近いうちに本当にアメリカに単身で行って、このブログに写真や動画をアップできて、読者さんがアメリカを感じて一緒に共有できたらこれほど嬉しいことはないです。
拙い文章でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。

これからも当ブログ

「AMERICANA」えくすとり~むうぇぶまがじん。( ゚Д゚)y─┛~~
「アメリカないず。」

をよろしくお願い申し上げます。

↑追記:本当にアメリカに行けたので、ブログやっていて良かったなぁとしみじみ思います。書けば夢は叶う。